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2005年6月

2005年6月 2日 (木)

ベルリンの至宝

土日は混みそうなので、週イチで8時まで開館している金曜日の夜を狙って行った。ガラガラに空いているわけではないが人の頭ばかりで何も見えないという事はなくまずまず。

古代ものではドイツ南部出土の「ベルリンの黄金帽」が目にとまる。金ぴかの紋様入り超ロング山高帽に、まがいもののような印象を抱いてしまったのは何故?制作年代が紀元前10〜8世紀、帝政ローマよりも古い!のにそういう年季の入った古さを感じさせない金ぴかさ加減だから(笑)。

古代エジプトものは中王国より新しい遺物が多い。私は動物像が多彩で好き。古代エジプトでは魚すら冠を付けている。牛も猫も朱鷺もヒヒも虫も神様のお使い。人間にはない能力を持つ生き物に対する素朴な崇拝は現代人にもよくわかる。この謙虚さは無くしたくない。

古代ギリシャ・ローマは人物像ばかり。ローマ五賢帝の一人ハドリアヌスの恋人アンティノウスの立像は筋肉系美青年。同性愛は褒められることではないにしても(ハドリアヌスの次の皇帝アントニヌス・ピウスはさらにその次のマルクス・アウレリウス帝に少年愛を慎ませたという…)致命的なスキャンダルではなかった。アンティノウスは死後神格化されて彫刻は作られるわ、新都市は作られるわ、後ろめたさのカケラもない。こういう古代ローマのおおらかさ(?)も後世のキリスト教社会では頽廃の現れとみなされたのだろうな。

イスラム美術の細密画の紋様の見事さはいつ見ても絶句ものだが、これを布地の柄に使ったりしたらイスラム教徒は怒るだろうか…だろうな、と思うと残念な気がするのは私が異教徒だからだろうな。

ヨーロッパ中世の木彫像はどれも素朴な味わいだが博物館の展示室より教会の聖堂や礼拝堂に置かれてこそ映えるに違いない。博物館に納められているのは、本来あるべき場所が無くなってしまったからだとしたらそれも残念な事。

ルネッサンス・バロック・ロココあたりは(あまり好みの絵がなかったので)すっとばして19世紀絵画のコーナーへ。個人的に今回の大目玉、カスパー・ダーフィト・フリードリヒの絵にお目にかかる。
出品作3点のうち「孤独な木」「海辺の月の出」は気温の低い涼しげな絵。フリードリヒの絵は冬景色でなくとも寒そうなものばかりだが、今回日本に来たのは比較的‘暖かい’方だ。
「孤独な木」は北ドイツの朝の冷涼な空気を感じるし、「海辺の月の出」は日暮れの遅い高緯度地方のほの明るい夏の夜の空そのもの。
私の経験したドイツとイメージするドイツが理想的に一致した風景を描いているのが私にとってのフリードリヒ。結局これを観る為に来たようなものであった。

これだけいろんなものを並べられると印象はかえって散漫になる気がする。カタログ的展示というか。
大きなテーマとしては「ベルリンの博物館島が持っている古今東西の美」なんだけど…この次はもっとテーマを絞ってくれた方がいいかも。

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